COVID-19 と生活 (1) - 静止した街の中で

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1か月ぐらい前と比べても状況が、心境が大きく変わっていて目まぐるしい。例の3月下旬、春分の日による3連休、僕は電車で片道1時間ぐらいの距離を遠出した。基本的にはオープンエアーな場所だし、まぁ多少大丈夫だろうという思いがあった。それから数日して、あの3連休に「気が緩んだのではないか」という言説が出始めて、自責の念に苛まれた。あの遠出が本当に危険だったかどうかという振り返りよりも先に、「気が緩んだ」という後ろ指を指されかねないこと自体が心に重くのしかかった。あの日以来、通院を除けば電車には乗らなくなり、家から半径 2km 圏内程度の、小さな街の中を移動するだけで過ごしている。人の密集するような場所に行くな、という程度の制限だったのが、不要不急の外出は避けろになり、8割外出を減らせになり、今ではマスクをしていない状態ではわずかな会話も憚られるような社会になってきた。徐々に自由が失われていくことは、やむを得ないとはわかっているものの、ストレスが大きい。真綿で首を締められるような感覚とは、こういうのを言うのだろうか。

これほど大きな事態になるとは思っていなかった。と、いうのは、僕に限らず多くの日本人の実感だろうと思う。1月や2月の時点で、この状況を予想できた人はそうはいまい。それはおそらく、問題の本質を履き違えていた故だったのだと思う。当初は風邪同然の軽いものであり、一部重症化するが大した病気ではない、という認識が大勢だった。現段階においても、若年層であれば罹患してもそれほど大事にはならないことが多いのかもしれない。ただ、問題の本質は自分が感染するかどうかではなく、他人に感染させてしまうかどうかというほうが重大なのだということを見誤っていた。社会に広く蔓延してしまった場合に、それだけ死者数が増えてしまうということ。そしてそれを抑えるための感染対策というのは人間の移動制限を伴うものであり、結果として経済への影響が大きくなるほか、様々な社会的リソース配分における問題が噴出していくということ。感染症との戦いというのは、極めてマクロな戦いなのだということを、今回の騒動で初めて理解ができた。海外では現在の状況を「戦争」と喩える為政者もいるということだが、それは人間同士の争いではないという点で誤りではあるものの、国家が自国の損失を防ぐため、物的・人的資源のバランシングを全力で行う必要があるという点においては、的を得た表現でもあるとは思っている。

僕は神奈川県に住んでいる。緊急事態宣言が最初に発出された7都府県の1つであり、今は特定警戒都道府県に指定されている。勤め先は東京都内の会社の IT サービス運営部門で、会社の業績への影響は良い意味でも悪い意味でももろもろとあれど、直接的に自分の生存が脅かされる事態には、今のところ置かれてはいない。会社は3月頭からリモートワークが推奨になり、その頃から週1回しか出社はしていなかった。4月からは原則出社禁止となり、先に書いた通り、もう長いこと電車には乗っておらず、東京という地にも足を踏み入れていない。

本音を言うと、ちょっとだけ今の東京には行ってみたい思いはある。kashmir『ぱらのま』3巻で、「生きた廃墟」のように人がいない東成田駅を「世界の終わりのようだ」と表現して、主人公が安らいでいる描写があったが、自分にもこの手の感性が存在している。人間が人間のためだけに作り上げた都市という場所に、人間がいない状態というのが好きなのだ。ディズニーランド休園当初、しばらくしたらディズニーリゾートラインで「無人の夢の国」を周遊しに行こうなどと考えてもいたのだが、到底そんな状況ではなくなってしまった。

自宅と最寄り駅までの、僕の今の生活が閉じ込められた狭い空間は存外に普段どおりで、そこそこ人通りはあるし、駅前の一部チェーン店などを除けば、多くの店も営業してくれている。変わってしまったのはドラッグストアの品揃えぐらいで、特にトイレットペーパーはここ数日でようやく回復してきたものの、1週間前ぐらいは、まだ近場で見かけることはなかった。そして誰もがマスクをしている。僕は花粉症故に、2月頃に多めにマスクを買っていたので、まだ家にも備蓄はある。が、さすがにそろそろ潤沢ではなくなってきたので、この頃は買い物をする機会を減らし、ただ散歩のためだけに外出するときは、人に近寄らないようにしつつ、マスクを外していることもある。買い物の往復が週2, 3回。それ以外は1日に1回は散歩するようにしているけれど、天気が悪かったりすると、それもしなくなる。最近は雨が多くて、鬱陶しい。

この生活になって良かったことと言えば、料理のレパートリーが増えたことと、毎日豆を挽いて、コーヒーが淹れられること。

もともとインドア派なので、家に居続けること自体はそこまで苦痛でもないが、文化芸術に触れることが少なくなったのは耐え難い苦痛だ。3月9日、東京ジョイポリスで開催予定だった初音ミクのミニライブが中止。4月9日、福岡まで足を運ぶつもりでいた、 UNISON SQUARE GARDENヒトリエの対バンライブも中止。チケットを買っていたわけではないものだと、東京国立博物館『大和と出雲』だとか、いくつかの映画だとか、見に行けなくなってしまったものは数知れない。8月、大阪開催のマジカルミライに抽選応募はしているものの、正直開催は難しいだろうと今では諦めつつある。12月、東京開催のマジカルミライが見られればいい、ぐらいの希望を持っているが、それもオリンピックが延期された今、幕張メッセが今冬開放されるのかもよくわからず、何とも言えない。

心配なのはそういった文化産業の存続もそうだが、通っていた個人営業のお店のこともだ。初台と下北沢にある「本の読める店」 fuzkue では、お店の先払いチケット 「いつか行くフヅクエ券」 なるものを売り始めていて、先日4枚綴りを買わせてもらった。こういった情報発信を盛んにしている店であれば状況もわかって安堵できるのだが、通っていた都内の理髪店などは、状況を掴むことすらできず、やきもきしている。髪を切るぐらい行ってもいいんじゃないかという思いと、今はやめるべきだろう、地元の常連さんが今でも通っていて、きちんと存続しているだろうという思いとが、ずっとせめぎ合っている。

他では アップリンクの映画60本見放題 は登録したし、ミニシアター・エイド基金 にも拠出した。 雪ミクスカイタウンの通販 で雪ミクちゃんラーメンを備蓄させてもらった。幻に終わったゴールデンウィークコミケのカタログも買った。一方で、このご時世に無料で公開されているマンガの数々には首を傾げもするのだが、ありがたく『うしおととら』や『さよなら絶望先生』を何十冊と読ませてもらってもいる。

最も危惧しているのは、国家的な災禍に見舞われたとき、国民の意識がどう変わっていくのか、というところ。4月初頭、早く緊急事態宣言を出すべきだという話が声高に聞こえてきたあの状況は、ちょっと憂慮した。アンゲラ・メルケルは、国民に移動制限を課すにあたり、「こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないもの」 *1 であると語ったという。権利を勝ち取って得た経緯に乏しいこの国では、国民の自由と権利と、国家や社会の公的な利益とのせめぎあいという視点が、決定的に欠けているように思えてならない。

公的な利益のために私権を制限することが、常にまかり通るわけではない。今の状況を伊藤計劃『ハーモニー』で描かれた、パブリック・コレクトネスの世界になぞらえて語る人もいるが、その世界に行き着くにはまだ早かろう。緊急事態宣言は、実際のところそれほど強制力の強いものではないが、私権の制限をその中に含む宣言の発出を、国民が無邪気に待ち望むべきだとは、僕は考えていない。

やるべきは、今自分に何ができるのかを最大限に考えて行動することなんだろう。生活の様相はガラリと変わってしまったし、変えざるを得なかった。世界と社会の状況が目まぐるしく変わる中で、如何に最適化していけるのかを考えていかなくてはならない。静止した街の中で、静止した中でもできることは何なのか。考えるべきこと、やるべきことは、まだまだ山のようにあるように思えてくる。

僕は今回の騒動で、実際に感染したわけではないし、幸運なことに収入なども大きく変化してはいない。だけど世界が変わり、生活の変化は余儀なくされた。この状況下での生活を書き残しておくことは、何かしら意味があるのではないかという気がしてきたので、少し書いてみる。この事態が長く続くのであれば、1か月おきぐらいに書くことにしていきたい。ただただつらつらと、何かメッセージがあるわけでもなく、淡々と書いてみたい。