石戸諭『リスクと生きる、死者と生きる』 - 「正しさ」について

リスクと生きる、死者と生きる

リスクと生きる、死者と生きる

読んだ。石戸諭氏のことは、毎日新聞に勤めていらした頃から、Twitterでフォローする形で何年か追っていて、そのきっかけはもう覚えてない。誠実かつ正確な記事を、きちんとした取材やエビデンスを元に書かれるが故、とても信頼を置いていて、特に東日本大震災に関連した記事をよく書かれている印象が強い。フォローしたのも、おそらくはやはり震災関係の記事がきっかけだったんだろうと思う。幾度か彼の記事はバズっていたので、意識せずとも読んだことがある人も多いんじゃないかと。例えばこの記事とか。

震災から7年にあたる今日は、この記事を上げていた。

この本の趣旨は、マスメディアなどが「被災地」や「被災者」といった主語の大きい言葉で括り、震災を語ったとき、どうしてもこぼれ落ちていってしまう「個的」な言葉をまとめ上げるというところにあるという。石戸氏はメディアの記者という立場だけど、この本は固いルポルタージュというより、間違った分類になりそうだがエッセイに近いものを感じる。メディアの記事でよく見かけるのは、取材対象の言葉を載せつつも、それを新聞社やテレビ局が言いたいことの「代弁」として用いるようなまとめ方だけど、この本では震災後に取材してきた一人ひとりの言葉が、ただただ端的に、そして丁寧にまとめられている。それぞれの語る話は当然ながら1つの主旨にまとめられるような内容ではなくて、散文的にぽつ、ぽつと言葉が並ぶ。

自分が一番衝撃を受けたのは最初の章だった。ここでは岩手県で米作りをしている農家の話が出て来るが、彼が語るのは、放射線量が基準値を下回った米を市場には出荷しながらも、自分の小さな息子に食べさせることはどうしてもできず、自家用の米は打ち捨てたという話だ。彼は自らが住む街の放射線量マップも作り上げたような人物で、科学的な理解を損なっていたわけではない。科学的には問題がない、でも感情的には受け入れることができなかった。これはそういう話だ。

この話をどう受け入れるべきなのかは非常に迷った。自分は科学に依拠する立場を基本的に取る。それはエンジニアという理系に属する職種に就いていることも一端かもしれない。だから放射線に関する風評被害を東北地方が被ることは言語道断だとずっと信じてきたし、石原都知事が引いた「科学が風評に負けるのは国辱だ*1という言葉も好いていた。でも現実にあったのは、風評を被る可能性のある当事者の1人が、科学より感情を優先するような行動を取るということ。いや、考えてみれば当たり前の話で、理屈ではない恐怖や不安なんて、放射線の話だけではなく、誰もが日常的に体感している。それなのに自分は今まで、風評に屈して「逃げ」を打つ人々に、ささやかな悪感情を抱いてきていたように思う。

親ってそんなもんじゃないかなぁ。頭ごなしに批判しちゃダメなんだよ。俺も否定する権利なんてないんだ。(p.48)

SNSで個々の声が可視化されやすくなった今の時代、その最大公約数的な「正しさ」というのもまた、可視化されやすくなったように感じるときがある。曰く、世の男性陣は、世の「夫」は、この国は、会社の経営陣は。そういう大きな主語で括られて語られる「正しさ」を見て、なんともウンザリする気持ちは自分だって抱いてきた。でも正論がすべてじゃない。正論が通じないなら、なぜ正論が通じなかったのか考える必要がある。そしてその「理由」は、個々人の数だけ無数に存在する。もしくはその「正論」は本当に正しいのか。SNSに居ない人たちの声は拾われているのか。さらには、SNSに上げられている声は、本当にその人の真意なのか。正しさが跋扈するTLで、自らもまた「正しく」振る舞っているだけじゃないのか。そんな当たり前のことが、抜け落ちていたことに気付いた。

歴史の当事者は起こった出来事と自分自身の接点を見つけ、何かを考えている人である。どんな軽薄なきっかけであれ、単純な興味であれ、偶然であれ、何かを伝える場所やものがあれば、人はそこから考えることができる。そして、未来に向けて何かをしたいと思うとき、狭い意味での「当事者」か否かという線引きは無効になる。誰もが自分の歴史を語り、未来を語ることはできるのだから。

自分は震災で被災した当事者ではない。しかしあのときの恐怖は確かなものとして憶えているし、きっと忘れることはない。原発の水素爆発、関東近郊でも大規模な余震が起こるのではないかという噂、錯綜する報道、物資供給の少なさ。大学を卒業して会社勤めを始める、ちょうど過渡期のふわふわした時期にあの震災はやってきて、寄る辺のなかった自分は、独り暮らしの部屋に3日ほどは引きこもっていた。でもそれは被災ではないのだからと、どこかに書き記したり、話したりしたことはほとんどない。でもそうじゃないのだ。あのときの記憶や経験も、未来に対して何か生きるものなのだろうと、今になって思う。

正しくあること、前向きな言葉で目の前の現実を「括る」ことは、別に間違っていることじゃない。それが誰かを救うこともきっとある。でも生きるってことはおそらく、もっと泥臭く、つぶさに一つひとつの語りと向き合うことであって、正しさという名のハンマーを振り下ろしていくことではないのだと思う。そしてそれは自分に対しても同じことで、正しく綺麗であろうと、そういう言葉で自らを顕していく必要はまったくなくて、正しくなかろうとも、素直に語っていくことは、きっと必要だ。

そんなことを、震災から7年を経て考えていた。