the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

細田守『未来のミライ』 - 親のいない場所で子どもが成長すること


「未来のミライ」予告

あまり見るつもりがなかったものの、冒頭に流れる予告編の中で『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の特報がゲリラ的に公開されていると聞き、急遽見てきた。急遽というのは本当に急遽で、たまたま映画館の近くにいたとはいえ、エヴァの情報を Twitter で目にしてから、映画館で着席するまでわずか20分。とても模範的なオタクだなと自分でも感心した。

とりあえずシン・エヴァ特報に関しては、見てよかった。本当に見てよかった。単純に考えて『Q』の公開以来、6年ぶりにスクリーンで流れる『F02』を聴き、スクリーンいっぱいに動き回るエヴァンゲリオンを見たわけで、特報内の情報量とかそういうのはもう本当にどうでもよく、たった30秒であろうとも、これを「見た」こと自体に意味があった。最近アニメを見る量も減ってきていて、徐々にオタク趣味からは離れつつあるかななどと考えていたけど、本気で好きなコンテンツを前にするとまったく変わっていないなと嘆息した次第です。

さて閑話休題。『未来のミライ』は、率直に言って悪くない。しかし、良かったわけでもない。細田の家族ものというと、特に『おおかみこどもの雨と雪』が極めて強烈なメッセージを放っていて、自分はアレがどうも苦手だったので、「家族」を強調している本作も敬遠していたのだが、蓋を開ければそんなに強いメッセージを宿した作品ではなかったのだ。悪く言うと、そう遠くないうちにシナリオの細部は忘れてしまうだろうなという、あまり印象には残らない映画だ。 公式サイトに公開されているストーリー を見ると、時を超えて壮大な冒険が繰り広げられるように捉えられるが、実際のところは、「くんちゃん」が幾度か時を超える経験を繰り返しては現実へと帰ってくる、一種のオムニバスにも近い形式で、個々の時間跳躍にも直接的な繋がりは薄く、跳躍のたびに異なるテーマが展開され、積み重なることがない。なので、物語のスケールもそれほど大きくは感じられず、明確なカタルシスやクライマックスも無く収束するため、どうにもインパクトは薄い。

物語の出発点は、「くんちゃん」に妹のミライちゃんが出来たことで、親からの愛情を一身に受けられなくなってしまうことだ。しかし、その問題を解決するために話が運ばれるような、一本の筋道が本作には見られない。また最終的な解決も、愛情を再び得られるようになること、というところからは少し外れて、くんちゃん自身に変化を求めることに落ち着いていく。そしてその過程は、実の父母との交流ではなく、あくまで未来のミライちゃんや、予告編に登場する数々の「イケオジ」たちとの交流を通じて為される。親のいないところで子どもが勝手に育っていく、というのは『バケモノの子』でも描かれたテーマだ。 当時このブログでも触れたが 、この点は自覚的に描いていることを、細田本人も語っている。本作は「くんちゃん」の一人称視点で描かれるため、その視界に親が入らないことが少なくないというのは、より印象に残る。中盤でくんちゃんが時間跳躍の結果、ある成長を遂げたことに対し、星野源演じる父親が、妻から「お父さんが応援したから、くんちゃんが成長したんだよ」と言われて涙するシーンがあるのだが、その成長は実際のところ父親とは無関係に遂げられているので、これは皮肉なのか何なのかと、見ていて悩んだ。いや、おそらく自覚的な描写なのだろう。

細田が持つ「親がいない場所でも子は育っていく」というテーゼと、ちょうど反対に位置しそうなのが今井哲也のマンガだと思う。昨年アニメ化された『アリスと蔵六』では、超常的な力を持つが故に、長年研究施設に閉じ込められていた少女・紗名が、堅物の老男性・蔵六と出会い、そして「親子」になり、徐々に成長を遂げていく物語だ。彼女はその能力と、長く閉じ込められていた故の非常識さがために、やはり親がいないところで勝手に行動し、勝手に世界と触れ合い、勝手に様々な障壁とぶつかり、そして乗り越え、時には失敗する。しかし、それらを必ず蔵六がフォローする。超常的な力を持っていようが、蔵六は紗名を特別扱いせず、悪いことは悪いと叱り、紗名が勝手にいなくなった後には、何をしていたのかを必ず問い質す。どれだけ非凡な力を持とうとも、子どもを導くのが親なのだということが、頑なに貫かれていて、そしてそれは自分の価値観とも符合する。たまたま最近、今井の過去作『ぼくらのよあけ』を読み返しているところだが、こちらも似たテーマを持った素晴らしい作品かつ、全2巻と短いのでオススメしたい。

アリスと蔵六(1) (RYU COMICS)

アリスと蔵六(1) (RYU COMICS)

子どもは確かに、親がすべての面倒を見なくても勝手に成長を遂げるのかもしれない。ただ、間違えることもあれば、どうしても越えられない壁にぶつかることだってある。その導き手として、あるいは正しく世界と向き合うための道程として、親の導きは不可欠としているのが今井の作品だ。細田はここで、親の介入を一切廃してしまう傾向にある。まぁ「異世界へ迷い込む」という特異な設定のあった『バケモノの子』であればまだわかる話ではあるが、本作は基本的には親とごく平凡な生活を送っているにも関わらず、なのだ。その意味においては、本作の父母は過去作で見られるような理想的な親ではないとも言えるのかもしれない。それは後味の悪さとまではいかずとも、ちょっとした違和感を残していく。いや、むしろ、親だって人間なのだし、子どもの心をちゃんと理解できないのが普通だろうと言われると、それもそうなのかもしれない、とも思う。

しかし脚本への懸念はさておき、映画全体として見るとやはり完成度は非常に高く、100分間飽きることはない。自分が細田作品で好きな要素として、『サマーウォーズ』や『ぼくらのウォーゲーム!』で見られた、白い背景にゴチャゴチャと看板や標識が散らばる独特の空間表現や、無愛想で目つきの悪いイケメン少年、なんか汚らしい擦れたおっさんなどがあるのだが、これらは全部本作で健在である。というより、本作にはかなり好きな要素を詰め込んだんじゃないかと思っていて、予告編で明らかな通りケモ、というのか、半獣半人への変化も相変わらず見られるし、時間跳躍も『時をかける少女』を思わせる部分はある。その詰め込みすぎ故に、前述の通り「一本の筋道」が感じられなくなった面もあるのかもしれない。またゲスト声優は誰もが好演していて、特に福山雅治の演技は予想以上によかった。どちらかと言えばクールな役柄を演じることの多い彼が、雄叫びを挙げるシーンが後半にあって、これがかなりグッとくるのだ。夏のエンタメ大作という名に恥じないクオリティであることは間違いないし、そういう個々の要素に対しては本当に、とても楽しめた。

「親のいないところで育つ子ども」という本作の描画、そしてくんちゃんの至った結末が、良いものなのか悪いものなのかは、個々人の価値観にもよるのだろうと思う。ただ、そのメッセージは彼の過去作ほど強烈なものではなくて、静かに語りかけるようなものだったことは確かだ。また親の在り方が理想的で偶像的なそれから、ある程度現実的なものへと引き下ろされたこともポイントではないかと思う(特に『おおかみこども』や『サマーウォーズ』の母性信仰が散々批判されていたわけで)。そして独身の自分と、既婚者、子どもを持つ夫婦とでも、本作への見方は変わるのだろう。おそらく小さい子の親である人たちは、本作の父母を見て思うところが何かしらあるはずだし、かつて幼子だったすべての人たちも、くんちゃんを見て思うところがあるはずだ。そして家族で本作を見たら、それをお互い話し合ったりすると良いのだろうと想像する。押し付けがましいメッセージの薄い本作は、むしろ「考えるきっかけ」としては最適なのかもしれない。

未来のミライ (角川文庫)

未来のミライ (角川文庫)