そぞろ西新宿探訪

ゴルゴンゾーラ等のチーズとはちみつのトースト
ゴルゴンゾーラ等のチーズとはちみつのトースト

年末年始の休暇は fuzkue から始めるのが毎年のルーティーンで、今年は東直子+くどうれいん『水歌通信』とpanpanya『そぞろ各地探訪』を持参した。思えば昨年末のfuzkueでも、 ユリイカのpanpanya特集 を読んでいた気がする。『そぞろ各地探訪』は、そのユリイカのなかで2024年春刊行と謳われていたが、予定は延びて延びて、つい先週届いたところだった。これもまだBOOTHなどでの先行予約にあたるロットで、一般販売は来年春になるらしい。実に1年待ちわびた本で、昨年に続き今年もpanpanyaで年を締める。

実際に物が届いてみると、製本に苦労したのだろうな、と伺える出来映えの本だった。雑誌『1月と7月』で連載されていた旅行記に加え、過去に同人誌として発行された『旅の本』数冊が綴じ込まれている、というのがこの本だが、『旅の本』はそれぞれ異なる判型のものが実に器用に挟まっている。曰く、panpanya本人が旅行をした際、もらってきたパンフレットなどを糊やタコ糸で無理矢理「製本」するという営みをされていたそうで、この本はそれと同様のことやっているらしい。商業出版にあたり、まったく同じ手製本をされているのかは実物を見ても僕にはわからないが、確かに製本用のクロステープが貼られていたり、手作り感が滲み出ている。旅行のパンフは自分も持て余しがちで、毎度クリアファイルにまとめて本棚へ突っ込んでいるのだが、「製本」というアイデアは真似してみようと思った。

そもそも表紙からして判型が異なり戸惑う
そもそも表紙からして判型が異なり戸惑う

panpanyaの著作はほとんどがマンガだ。この『そぞろ各地探訪』については一部マンガもあるものの、イラスト付きのエッセイに近いテイストのものが多く収録されている。彼の作品は基本的には現実ではない、現実のようでいてどこか現実から離れた幻想的な町並みや風景が舞台になるが、この本は旅行記であり、実在の場所が登場する(若干のほらも混じったりはするが)。だからいつも以上に馴染み深さを覚える。

収録されている場所のうち、ひとつが新宿の地下通路だった。新卒で最初に入った会社が西新宿だったこともあり、地下通路はだいたいを把握しているつもりでいたが、作中に出てきた、京王プラザホテル内にあるという「プラザナード」なる道が目にとまる。明らかに古ぼけた、「いかにも地下通路」といった気配の道だそうだが、京王プラザホテルにそんな場所があるとは覚えがなかった。

……今いるのは初台である。これは向かうべきではないか。

この日はfuzkueを堪能したのちに、初台駅から新宿三丁目駅まで地下鉄移動して、紀伊國屋書店へ行くつもりでいた。しかし、それだと京王プラザホテルは通り越してしまう。初台から京王プラザホテルを通りつつ、東口の紀伊國屋書店まで、まぁ歩けなくはないが、最近腰痛に悩んでいるのもあり、東京オペラシティの裏手からNSビルまでバスに乗って、そこから探訪しつつ紀伊國屋まで歩くことにした。

オペラシティの裏手、というのも初めて足を運ぶことになったが、西新宿は1本裏に入ると意外と生活感のある町並みになるのが好きだ。バスの車内はほぼ満席で、隣の席に荷物を置いていたマダムが、その席を空けて譲ってくれた。「すぐに降りますので大丈夫です」という台詞を、おそらく人生で初めて口にした。

ロードサイドのファミレスは永遠の郷愁を覚えるものだが、それにしても立派なオペラシティ裏のデニーズ
ロードサイドのファミレスは永遠の郷愁を覚えるものだが、それにしても立派なオペラシティ裏のデニーズ

NSビル近くだと、都庁前駅から地下通路へ入るのが早そうだったので、都庁に向かう。ついでに東京都議会議事堂と都庁を写真に収めたりする。この弧を描いた特徴的な建築は、五条悟が新宿決戦の折、『赫』をぐるっと一周させたことで一躍有名になった。完全な円であれば、やや角度をつけて『赫』を放つことで容易に一周させられそうだが、半円ともつかない形状のこの建築では、途中ほぼ直角に『赫』を曲がらせたりしないと一周はできないはずなのだが、そんな芸当までこなすのがさすが現代最強の術師というところなんだろうか。何の話だ。

『呪術廻戦』聖地巡礼らしき人は見かけず
『呪術廻戦』聖地巡礼らしき人は見かけず

年の瀬にも関わらず、なのか、だからこそ、なのか、インバウンドの観光客をちらほらと見かける。パスポートセンターは人でごった返している。思えば展望室まで登ったことがない。この日も登ることなく、目的の京王プラザホテル方面へ地下道から向かう。panpanyaの作中でも、都庁前駅のあたりから歩いていて、このあたりには当時カロリーメイトリキッドを売っている自販機があったそうだ。書籍化する際の追記で今はもうないと書かれていたが、探しても確かに見つからなかった。カロリーメイトリキッドは飲んだことがない。そもそも自販機で飲み物を買うときに、ついでだからカロリーと栄養も摂ろうという発想になったことがない。

地上ではあるが、ホテル入口からは少し下がっている
地上ではあるが、ホテル入口からは少し下がっている

プラザナードは、確かにあった。京王プラザホテル正面すぐ脇に、ひっそりと入り口がある。作中で地下道というよりは1階通路だと書かれていた通り、地上からまっすぐ入り口に入っていける。もっとも、西新宿は地下通路を通っていたと思えば地上を歩いていたり、地上を歩いていたと思っていたら高架になったりと複雑な地形だから、どこが地下なのかも定義が難しく思える。そのあたりの事情は「淀橋浄水場」でググると垣間見えたりする。

プラザナード、訪れたのはまだ日中だったが、やや薄暗くて、黄色がかった照明の印象が強い。日中でも人通りは少なく、建築としては古そうなこともあり、さながらBackroomのような雰囲気すら感じる。ここを通った記憶は確かになかった。さっき本のなかで見た見知らぬ場所が、にわかに目の前に現れるのは、特に見知った街だとやや不思議な感覚に陥る。

タイルで作られた控えめな模様が良い
タイルで作られた控えめな模様が良い

プラザナード反対口も、やはり地表からは少し下がっている
プラザナード反対口も、やはり地表からは少し下がっている

プラザナードから続くシーズンロードには公衆電話と、2015年発行のタウンページ
プラザナードから続くシーズンロードには公衆電話と、2015年発行のタウンページ

そのまま甲州街道の方まで地下から抜けて、京王モールを通り、新宿駅西口。歩いているうちに暑くなってきて、コートとマフラーを脱ぎ、腕まくりをして歩く。暖房が効いているわけではないだろうが、地下は意外と熱がこもる。真冬にこの格好で歩くのは若干の気後れがある。

思ったより距離を歩いたこともあり疲れてきていて、あとはもうサクサクと東西自由通路を抜けようとしたところ、通りがかった老夫婦が「……なくなっちゃったねえ」と会話しているのが聞こえる。何がなくなったんだろうか。そこは聞き逃したが、西新宿は「なくなっていくもの」には事欠かない。西口地下広場から地上を見上げると、小田急本店がすっかり解体されて、京王百貨店の周囲、空が広くなっていたので、それだろうか。しかし、それ以上に目を引くのが東西に渡された鉄骨だ。ここは車道を取り払い、開口部としてはむしろ広々するのだと思っていたが、この鉄骨は何にどう使われるのだろう。西新宿、数か月来ないうちに見る見ると変わっていく。

既存の道路の上に、鉄骨のようなものがかかっていた
既存の道路の上に、鉄骨のようなものがかかっていた

そぞろ西新宿探訪はここまで。東西自由通路に入ると急に人が増え、人混みに酔いそうになりながら紀伊國屋書店へたどり着いた。紀伊國屋もまた年末特需という感じの賑わいで、かごに何冊も本を入れたサラリーマンと幾度もすれ違う。

紀伊國屋の地下ではモンスナックのカレーが有名だが、CLOVEのカレーも美味い
紀伊國屋の地下ではモンスナックのカレーが有名だが、CLOVEのカレーも美味い

同じ日本でも少し違った歴史を辿った結果、失われたはずのものがあったり、あるはずのものが無かったりする。 道路標識は一緒なのに、見慣れない消火栓があったりする。風土や歴史、植生の違いが見慣れていると思っていた景色の匂いを少し違うものにしている。その僅かな差が愉快なものということを感じた。(『そぞろ各地探訪』収録『再編・北海道旅行日記』より)

僅かな差は地理的な差からも出てくるし、時間を経ることでも感じられてくる。年齢を重ねていくと、その変化に儚さを感じて嫌になることもあったりはするが、なるべくであれば楽しみながら生きていきたい。来年は何が変わっていくだろう、何を変えていけるだろうかと、思いを馳せる。