モールがノスタルジックなものになる日

書籍『モールの想像力』の写真
飲みかけで失礼

SPBS TOYOSUで大山顕『モールの想像力』を買い、そのまま店内で読んだりしていた。豊洲という土地、オフィスビルとららぽーとのイメージしかなく、男性が休日などにひとりで歩いていても肩身が狭いだけだと思っていた。数年ぶりに訪れて、とりあえず駅から地上へ出てららぽーとへ向かうと、建物がいくらか増えていて、ゆりかもめ豊洲駅、豊洲シビックホール、ららぽーとが全て繋がっていて、地上に降りずともららぽーとへシームレスに入れたことに気付く。いつの間にこんなことになっていたのか。

そのららぽーと豊洲、新たに出来た「3」でコーヒーを飲める店を探すと、4階のクリニックフロアの奥にブックカフェがあると出る。2階に有隣堂のブックカフェがあったから、それと間違えているんじゃないかと半信半疑で向かうと、確かにあったそこは、家族連れで賑わうモールの一画とは思えぬぐらいに静けさに包まれていて、一瞬たじろぎすらする。でも選書がいい。ウォーターフロントの窓辺で雰囲気もいい。マフィンは言わずともヒーティングしてくれて、何気なく頼んだコーヒーもびっくりするぐらい美味しくて、それはよく見るとフグレンとのコラボレーションだった。

『モールの想像力』は、2023年に日本橋高島屋史料館TOKYOで開かれていた、同名の展覧会を書籍化したものにあたる。昨年どこかでこの本を見かけて、ほしいな、と思いながらも一度スルーして、その後メモなどにも取らずにいたから、この店で出会うまで正直すっかり忘れていて、だから再び出会えたのは運がよかった。展覧会のほうも開催中に情報をキャッチはしたのだが、気になるなぁ、と思いつつ、昨夏は何かと忙しかったのもあって、いつの間にか会期は終わっていた。最近こういうことが多い。

この史料館はなかなかに面白い。その前に開かれていた『百貨店展』には足を運んでいるのだが、百貨店などと言いつつ手前味噌に高島屋の歴史を紐解く、というわけではなく、国内の百貨店を包括的に振り返り、特にその建築的意匠を取り上げる、他ではなかなか見ない展示だった。今はなき白木屋をはじめ、大丸に三越に松坂屋に丸井今井に、ライバル店も含めた国内主要百貨店の歴史が室内にでかでかと張り出されていて、こんなの1回じゃ見きれないよとTwitterで泣き言を言ったところ、そのツイートに後日、史料館公式アカウントから「いいね」がついて、それを辿って公式アカウントを見に行ったところ、展覧会終了後に「百貨店の歴史」複製を販売開始したと書かれていて、これはもしかして「いいね」で教えてくれたのだろうか、などと内心感謝しつつ、ありがたくポチらせていただいた。

『モールの想像力』における、ショッピングモールに関する展示というのも百貨店展と同じく、自己言及的と言うべきか。いや、高島屋は玉川や立川のようにS.Cを冠する店舗を有しているとはいえ、百貨店と「モール」は原理的に言えば一線を画すものにも思え、むしろ「自己」言及の範囲は百貨店展からさらに広がっている。現代的なモールというのは、苦境に立たされる百貨店業界にとっては、より強い脅威であろう。

百貨店とモールの違いについてはいくらか本書で言及されている。百貨店はショッピングのために行く場所だが、モールは理由がなくても行くところであり、街やストリートの延長なのだという。本書ではモールを描くフィクション作品にも触れられていて、そのなかのひとつである成家慎一郎『フードコートで、また明日。』は僕も好きな作品だが、ここでは違う学校に通う女子高生2人が、モールのフードコートで放課後に落ち合って喋る、ただそれだけの情景が描かれる。モール内の他の店舗へ行く話は、ほとんどない。

もうひとつ、映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』では、主要な舞台がモールであり、そのモールのなかにはデイサービスがあって、そこのご老人たちがモール内(!)で吟行するシーンがあるのだと本書で知り、思わず映画も見てしまった。キャラクターたちはモールのなかで遊び、バイトをし、デイサービスで老人と知り合い、その地の歴史を知り、モールの中で祭りに興じる。モールの中に生活があり、人生があり、そこでドラマすらも生まれる。これが2021年のリアルな生活のスナップショットなのだと。

個性がないってことは、逆に観る人によって都合よく「自分の近くのイオンモールじゃん」まで いってくれれば感情移入しやすい、動線を引きやすいなと思った。どの段階でこのルックに決めたかは忘れたんですが、最終的に個性的に見えるかもしれないんですけど、 やってる僕としては無個性化に近い。ディティールはらしくするんですけど、色をありえない色にしちゃうと、いったん現実から離れるんですよ。都合よく解釈しやすくなってくれと思いながらこのシティポップっぽい、新版画っぽいものにした。 (Page 77)

イオンモールの建築が魅力的だ、なんて思う人はそうはいなさそうだ。でもだからこそ、全国どこでも共通した無個性な意匠だからこそ、誰もが心のうちに持つ原風景として、いつかイオンモールがノスタルジックなものになる日が、確かに来るのだろうなと思う。

僕は「モール・ネイティブ」な世代ではないだろう。子どものころはまだイオンモールなんてなくて、近くの大きなジャスコにはよく行った覚えがある。でもそれは特別な日に行く特別な場所であって、日常の延長、放課後に友だちと喋るような場所ではなかったのだ。

この本を読むにあたっては1日で読みきれず、SPBS TOYOSUを再訪している。それぐらいに良い店だった。モールが目当てではなくて、モールの中の店舗が、そこで過ごす時間が目当てだった。地下鉄で豊洲までやってきて、今度は外に出ることなく、地下通路と建物の中をずっと通ってこの店まで辿り着く。つまり、このときの自分はららぽーとに来ているという感覚はほとんどなくて、このときららぽーとはただのストリートだったのだと、ふと気付く。子供の頃、未来の風景として描かれた透明なチューブやドームの中で過ごす日々はやってきてはいないが、もしかしたら今はそれにかなり近いものなのかもしれない。

豊洲で過ごす写真
再訪