the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

2020年4月 - かくしごと / THE ELECTRIC STATE / あつまれ どうぶつの森

アニメ『かくしごと


TVアニメ『かくしごと』ノンテロップED映像

実家のような安心感を覚えた。第1話本編で代官山蔦○に集う「おしゃP」を「怖い怖い!」って言っときながら、 ED で『君は天然色』オリジナルをさらっと流してくるオシャレっぷりにゲラゲラ笑っていた。

久米田先生が関わっているアニメであれば『じょしらく』『有頂天家族』シリーズといった名作がここ数年で放送されているが、久米田康治原作作画作品のアニメ化となると、『懺・さよなら絶望先生』が放送され、『獄・さよなら絶望先生』が発売された2009年以来となる。実に11年ぶりだ。そんなに経つのかと驚きつつ、畳み掛けるようなギャグの台詞回しの妙や、雑にさくさく作られていくハーレムといった久米田節に変わりがなくて嬉しい。なんかもう、何も文句なく躊躇もひねりもなく、「面白いなぁ」と言えるアニメ。

作風はさすがに『絶望先生』のそれのようなネガティブで時事世相を皮肉りまくったものではなくて(あれがもうとてつもなく大好き、っていう人は自分含め多数存在すると思うが)、主軸に一応のストーリーが置かれている。娘に「漫画家」であることを隠しながら生活する親バカな父と、そんな父の職業がサラリーマンであることを疑うこともなく、純粋に父を好いている娘と。彼らの背後には、まだアニメ内では深く語られていないが、母を亡くした過去がある。そしてオープニング映像や端々に挟まれている姫・高校生時点の描写から察するに、父が何らかの理由で不在となる未来がある。父娘の紛れもない愛情の裏に、寂しさをもたらす未来と過去と、現在進行系の秘密がある。だから彼らの在り方は理想の父娘ではあるのだけれど、少しだけ儚くも見えて、それが OPED で描かれるような「ひと夏」の刹那に重なっていく。とはいえ基本路線はギャグなのでただただ楽しいし、勘違いから可久士に惹かれてしまうヒロイン(?)たちもあざとく可愛い。神谷浩史が主人公と聞いたときはまたかよ!と思ったが、懐かしさもあってこれ以上ないキャスティングに思えてしまう。

この作品から感じる「儚さ」の原因にはもう一つ、久米田先生自身が「僕の最後のアニメ化作品になると思う*1」というコメントを残している点がある。確かにもう50歳を越えられていて、これ以上アニメ化されるような人気作は描けないだろう、という意図なのかな、とも思うのだが、これで久米田アニメが最後とはちょっと思いたくはない。最後のアニメ化作品が、実体験を織り込んだ漫画家マンガというのは、「たたみ職人」たる久米田先生とはいえ綺麗すぎるでしょう。てか、あの衝撃的なラストを余さずアニメ化した『終・さよなら絶望先生』を結構本気で見たいとずっと願っているので、これが最後ではやっぱり困るのである。

Simon Stålenhag『THE ELECTRIC STATE』

このブログでも幾度か触れてきた、読書用途に特化した fuzkue というカフェが新宿・初台にある。緊急事態宣言下において、こちらも休業、縮小営業を余儀なくされているようなのだが、一つの試みとして、 #自宅フヅクエ というものを行われている。 fuzkue の営業時間に合わせて、毎日12時から22時のあいだ、 Twitter 上で自宅での読書風景をこのハッシュタグでツイートするという、ただそれだけのものなのだが、ハッシュタグを見てわかる通り、参加している人は非常に多い。僕も一度だけ参加して、そのときに読んだのがこの『THE ELECTRIC STATE』だった。

4月になってから、もう長らく行われている活動にも関わらず、なぜ一度しかまだ参加していないのか。読書であれば絶え間なくしてはいるのだが、なんと言うか、 fuzkue という場での読書はちょっと特別なのである。わざわざ店まで行って、席料(のようなもの)がある店なので、2000〜3000円の、カフェとして考えると安いとは言い難いお金を払って、短くとも3時間、ゆっくりと居座りながら、誰も喋らないことが約束されている、静かで落ち着いた空間でする読書が「fuzkue」という体験だ。これは体験なので字で書いても理解してもらうのはむずかしいとは思うのだけど、 fuzkue に行くぞ、というのは、ある程度覚悟を持つ必要があり、会社帰りにフラッとスタバに入って本を読むのとは違う。だから自宅とはいえ、これは fuzkue の時間と同じ時間を自宅で流さなくてはならないのだ、と考えると、例えば昼休みのスキマ時間にする読書を「自宅フヅクエ」としてはツイートし難い。このハッシュタグのおかげで、 fuzkue という時間を定期的に過ごそう、と意識する習慣が持続しているような気がしていて、とてもいいものだな、と思っている。

『THE ELECTRIC STATE』は、この状況下で読むのは少々複雑な気分にもなる、世界の終わりの話であり、その情景をリアルなイラストと文章とで表したグラフィックノベルだ。主軸は終末の戦争が終わったあとのアメリカを、少女とロボットが旅していくロードムービーのような物語で、世界が終末に至った経緯は断片的にしか語られない。わかるのは、 mode6 と呼ばれる高度なブレイン・マシン・インターフェースが発売され、それにより操縦された無人機による戦争で、多数の人命が失われたこと。そして mode6 を使った人々の神経接続が何かしらの副作用を呼び、グロテスクなヘッドマウントディスプレイを被ったままの死体が合衆国のあちこちに転がっていること。主人公らの旅路は多数の死や退廃にまみれているが、一方で奇妙に発達した巨大な構造物たちや、ブレイン・マシン・インターフェースを支える数多のケーブルたちが、終わりを迎えた世界で空虚に稼働を続けている。それを描いたイラスト群がなんとも美しくて生々しい。随所にカートゥーンチックな商業広告が溢れる架空のアメリカの風景は、『Fallout』シリーズの世界観とどこか似ている。

ザ・ループ TALES FROM THE LOOP

ザ・ループ TALES FROM THE LOOP

ちなみに、ストーレンハーグが手掛けた同じくグラフィックノベルである『THE LOOP』が、4月よりドラマ化されて Prime Video で配信されている。

『あつまれ どうぶつの森

Image from Gyazo

比喩ではなく毎日やっている。いやぁ、楽しい。

僕にとってはこれが『どうぶつの森』シリーズの初プレイ。傍から見ていると、毎日木を切ったり魚を釣ったり同じことを繰り返さなくてはならない、作業ゲーという印象が強くて、あまり惹かれていなかった。実際やってみても確かに作業ゲーな側面はあるのだけれど、それによって日々少しずつ変化していく島や自分の家の様子が楽しくて嬉しい。

自由に島や家をカスタムして、好きなレイアウトを楽しめるゲームのように思えるものの、実際はそれほど自由でもない。家具などのアイテムや、それを作るのに必要な「レシピ」はお金さえあれば集められるようにはなっておらず、毎日ランダムに少しずつ集める必要がある。一方で効率を高めたければ、友だちの島へ遊びに行って協力してもらったりという手段も存在しているし、毎日島へ訪れるゲストキャラクターから、ボーナスにあたるアイテムや、高額のお金稼ぎの手段を獲得できたりする。自由すぎず、一方でストレスが溜まるわけではなく、とてもいいバランスに出来ている。また、出てくる生物やアイテムがなかなかに面白いチョイスをしていて、どう考えても釣れるわけがないシーラカンスリュウグウノツカイが浜辺で釣れてびっくりするし、はんだ付けなどの工具セット、なぜか和式やタンクレスなど豊富な種類が揃っている便器、やかんがあると思えばおしゃれなケトルは別で設けられているなど、こんなものまであるのかと日々驚かされる。服を着替えて、家の中を飾り付けて、徐々に自分の理想とする、居心地の良い空間ができあがっていく。

島に登場する魚や虫、あるいは咲く花々が、毎月季節に応じて変化していくのも楽しい。外出が難しい昨今において、擬似的にアウトドアを楽しめる手段になっているのは確かで、世界中でブームになっているのも頷ける。進行としては、いわゆる「クリア」に至り、自由に島の地形を変えられるところまで至った。カフェや温泉など、現実で行きたいと願っている場所を作って楽しんでいくつもりだ。