第3回 日記祭、日記の時代

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日記祭というイベントが開かれていることは以前から知っていたのだが、今回の第3回で初めて実際に訪問した。場所は下北沢のBONUS TRACK。下北沢という街は嫌いではないのだけれど、どことなくアウェー感を覚えてしまって、なかなか足を伸ばす機会が今までなかった。サブカルの街、という括りなら中野や池袋であればホーム感を覚えるのだけれど、下北沢は原宿とかと同系統のファッショナブルな街のイメージが強いというか、なんというか。ただ、BONUS TRACKには一度だけ行ったことがあり、小田急が地下化して生まれたあの一帯はだいぶ雰囲気が変わるんだな、ということは知っていた。今回はそれに連なる「下北線路街」の全面開業以降では初めての訪問で、駅からまっすぐに、今までのシモキタのイメージとは全然違うおしゃれな街区が出来上がっていて驚いた。

訪問のきっかけはfuzkueの店主、阿久津隆さんの『読書の日記』新刊の刊行だった。阿久津さんのメールマガジンを3か月以上購読していると、新刊を献本でいただけるという特典があり、来月発売の新刊を先行で受け取れる場所のひとつとして、日記祭が指定されていた。

www.hanmoto.com

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他人の日記というのは面白いな、という思いは、最近強くなっている。阿久津さんのものを読んでいても思っていたことだし、こんなブログを10年以上続けているだけあって、もともとブログ界隈にいたことで、長年そういった感覚は培われていたのだとは思う。「最近」そういった思いをより強く自覚するようになったのは、滝口悠生『高架線』を昨年読んだのも大きかった。なんてことのない、西武池袋線沿いの古いアパートで暮らしていた、歴代の住民の朴訥とした人生を連ねてできあがる物語。日常における感覚を、高い解像度で記録する、その主観がそれだけで物語になる。生の記録というのはただただそれだけで尊ぶべき物語なんだな、という感覚。

BONUS TRACKを企画した内沼晋太郎さんもこんなツイートをつい先日していた。パーソナルなテキストは面白い。大規模言語モデルという形で、デジタルで記述されたテキストの重要性が増してきているこの時代、自分の生をテキストに変換して残しておくことは、それだけでいずれ大きな意味を持つようにも思える。僕はそもそも、人間とは「生起しつつあるテキスト」なのだと思っている節もある。

実のところ、日記祭でそこまで「日記」を買えなかった。『読書の日記』は文庫本サイズで600ページを超える大著だが、これが一気に2冊刊行されたのを受け取り、そういえば内沼さんが代表を務める「ビールの飲める本屋」こと本屋B&Bに行ったことがなかったな、と思って足を踏み入れたら4冊ほど買ってしまったりなどして、それだけでなかなかに時間も体力も使ってしまったのが敗因(?)となり、肝心の日記祭では3冊ほど買いつつ、はてなブログのブースへお邪魔して終了した。

今般のLINE BLOG閉鎖のように、徐々にブログサービスも縮小していくこの時代、はてなは最後までブログを続けてくれそうだなと言う安心感のようなものを覚えている。はてなブログトップページでのピックアップを見ていてもそうだし、「今週のお題」のような企画、週刊はてなブログというメディアももうかなり長く続けていることなど、ここでブログを書く人を大事にしていこうという思いは強く感じられる。それに加えての日記祭への出展。単に「書く場所」を用意してくれて、あとはお好きにどうぞ、というのではなくて、この時代においてもなお、個人が長文をこうして書き残すことは面白いのだよと後押しして循環を作ろうとしてくれているのがとてもいいな、と思う。芸能人ブロガーやアルファブロガー(死語)でなくとも、無名の個人の書くブログが面白いのだよ、というのは、先の「日記の時代」と確かに地続きだ。来月には文学フリマにもはてなが出展するそうで、これにもちょっと驚いた。

このブログは日記の体裁はとっていないが、解像度高く自分の主観を書けるようになりたいな、という思いはある。近年、なかなかまめなブログ活動からは遠ざかってしまっていて、昨年はブログ開設からの十数年間で初めて、年間のエントリー数が1桁になってしまったのだが、最近改めてブログへの思いを意識的に持ち直し、今月だけで昨年1年間と同じ、これで3エントリー目になる。日記祭で手に入れた書物をパラパラと読んでいると、自分の知らない生活がそこには確かにあって、それだけで何か嬉しくなる。その人ならではの感覚や考え方、感情のぶれなどまで書かれていると、なおのこと嬉しくなる。そういった読書を繰り返していると、僕もまた書きたくなる。