そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

共通体験とデジタルネイティブ

1989年生まれのわたしには、小学校入学とWindows 95は同年です。

同じ年に生まれた誰かが、どういうバックグラウンドを持って今まで生きてきたか、とてもとても知りたい。

ソ連という国を知らなくて、ポケモンで友情を育んで、一種の背徳感を持ってインターネットに触れて、12歳で世界貿易センタービルが崩れちゃって戦争がはじまって、中学からケータイで遊んできた層。

わたしは自分を「デジタルネイティブ」だなんてこれっぽっちも思ってないけど、

上も下もほんの5歳違うだけでずいぶんデジタルな世界との付き合い方が違うだろうとは思う。

デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 - インターネットもぐもぐ

トラバ飛ばすときっていつも時間経ってからなんだが、思い立ったらすぐにブログを書けるようになりたいものだ。

リンク先は1989年生まれの大学生が、生い立ちをデジタル環境やいろんなカルチャーとの触れ合い方に絡めながら書いたもので、87年生まれの僕としては共感できる部分が少なくありません。性別は違えど、初期ポケモンの全盛期を経験し、時オカやFF7が一世を風靡して、降って湧いた「ゆとり教育」に振り回された世代。そしてインターネットに、子どもの頃から触れていた世代でもあります。

僕が初めてインターネットに触れたのは小5か小6の頃でした。父が会社の支給なのか、メビウスやらThinkpadやらを家で使うようになり、PDAを持つようになったのがその2、3年前。その姿に感化されたのか、母がPower Macintoshを買い、さらにiMacPower Mac G4へと買い換えていくなかで、「お下がり」として回ってきたのがあのボンダイブルーiMac。「将来こういうのを必ず使うようになるから、今のうちに触っておくといいよ」という言葉とともに、ブラインドタッチ(って今は言わないんだっけ)の修得やウェブページの作成を勧められたのでした。ついでに言うと、僕は「ふみコミュニティ」というサイトは知らなくって、もっぱら「マグネット」にいたのだけど。

ただ、残念ながら当時の僕はネットにはまらなかった。親の監視下にあったので当たり障りの無い使い方しかできないし、当時はオタク趣味も持ってなかったからコミュニケートするモチベーションもない。結局中2ぐらいでネットはあまり使わなくなり、再びハマるのは大学に入ってからのこと。今思えばもったいなかったなーという気もしますが、こればかりは仕方ありません。一方で高1のときにケータイを購入しましたが、こちらはもっぱらリアル人間関係での連絡ツールだったので、iモードをいじり倒すことはせず。PCのネットに慣れた人間からすると、あの小さな画面で狭苦しいインターネットに勤しむ気にはならなかったし。昨年末にAndroidを買って、ようやく解放された気分。

デジタルネイティブはどの世代からか

元記事のはてブでは「89年生まれで小学校入学と同時にWin95でもデジタルネイティブとは呼ばないのか」って話で盛り上がってますけど、僕は自分がデジタルネイティブだとは思ってないです。なぜなら僕にとって、インターネットは特別な存在だったからです。僕と前後1〜2年の世代は似たような感想を抱いているのではないでしょうか。

インターネットが本格的に普及したのって、2000年代に入ってからだと思うんですよ。具体的にはISDN、あるいはもっと遅くてYahoo!BBが出てきたあたり。それ以前のWin95が出てから5年程度って、なんだかんだ言ってもインターネットは「一部の人だけが使う特殊な存在」であったはず。というか、僕の周囲はそうでした。僕がインターネットに触れ始めたとき、周りの友人が使う最新デジタル機器はゲームボーイアドバンスだった。パソコンやインターネットになんて子どもたちは見向きもしていなくって、使っている僕の方がマイノリティだったんです。

ケータイにしたって流行り始めたのは中学生になってから。と言っても中学の間は一部の「リア充」っぽい子が持っているだけで、クラスのほとんどが持つような状態になったのは高校に入ってからでした。僕もそうでしたが、高校入学祝いに買ってもらった子が多かったようです。その時点で初めて、「デジタル」を使う人間が多数派になり、「使えない」方が「おかしい」ことに価値観が転化した。僕らの世代にとって「デジタル」は「生まれながらにそこにあったもの」ではなく、明らかに人生の中途で「出現したもの」で、「頑張って修得しなければならないもの」でした。そんな環境で育ったのに、自分がネイティブだとは思えない。

僕の感覚では、おそらくデジタルネイティブとは90年代前半以降に生まれた子どもを指します。幼い頃から、家のなかで両親がインターネットを使っている光景が当たり前で、小学校の友だちがテレホンカードではなくケータイを持っているのが珍しくなくて、音楽を聴き始めると初音ミクの存在を無視できないような(?)。僕らにとってはそうですね、テレビゲームがちょうどそういう存在でしたけど。

体験には共感が必要

体験、特に幼少期の体験って自分一人がしたことでは意味がなくて、誰かとその経験を分かち合えていたかが重要だと思うんです。ポケモンは「僕たち」の共通体験だけど、インターネットは「僕たち」すべてが共感できる体験ではなかった。それが87〜89あたりの世代を「デジタルネイティブ」と呼ばない、一番大きな原因かと思います。それが今になって、こうして同世代がブログを通じて、各々のインターネットとの出会いを共有できるというのはすごく面白い。

個人的に言えば、とても「得」な世代だとも思います。賞賛されて受け入れられたインターネットと、恐れられ遠ざけられたインターネットとの、両面を僕たちは知っている。インターネットが生まれながらに隣にあったら、きっと疑うことも忘れて溺れていたでしょう。