リコリス・リコイル


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安済千佳の声に脳髄をやられてしまったと思いながら観ていたが、最後まで楽しめた。

ワクチンとして『GUNSLINGER GIRL』を見ておけ という話もあったが、良い意味でそうはならなかった作品。この設定であればガンスリを彷彿としない人はいないだろうと言うところだが、足立慎吾監督はそもそもガンスリと同じポイントで作品を作ろうとしたわけではなかった らしく*1、改めてこのインタビューを読むとなるほど、と思う。

アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分はDVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います。

リコリスという存在は、現実を生きる立場から見ればどう考えても非道徳的であり、悲劇であるわけだが、このアニメは軽やかすぎるぐらいにその点に言及してこなかった。「ポイントをずらした」と言うが、この手の設定を下地にしたアニメで、「そもそもリコリスは正しいのか」「彼女らは尊厳を奪われているのではないか」と言った、現実目線で当たり前の問答や葛藤をほぼ一切入れてこない、というのはとても新鮮だった。リコリスの存在を引っくり返そうとした真島にしたって、「社会全体を見たときのバランス、歪さ」がその動機であり、彼女らが道徳的にどう、という話はしていない。千束は不殺という形である種リコリスの道徳的観点に一石を投じる立場にいたが、それもあくまで個人的な経験と価値観に基づく話であって、DA全体が間違っていると断じるだとか、周囲のリコリスに殺人をやめさせるといったことまで考えているわけではない。

死への恐怖、というような話すらない。最終話で千束が真島に語った「大きな街が動き出す前の、静けさが好き」から始まる、あの台詞がすべてなんだと思う。極めて特殊な状況下だけど、彼女らなりに楽しく女子高生をやっていて、日常の些細なことを愛してポジティブに生きているのだという、これはただそれだけの物語だったように思う。取りあえず今のところは。架空の世界であればその世界なりの倫理観もあって然るべきであり、我々がそこにこだわって見る必要はないのかもしれない。社会全体の安寧のために、銃を持たされる孤児の少女たちであっても、彼女らは彼女らにポジティブに任務に取り組んでいたりするし、日々を楽しんでもいるのだ。ゼロ年代のアニメなどを通ってきた人間としては、この設定のアニメをただただ楽んで見られる、というのがなんというか、嬉しかったのだ、という感想になる。

しかし、嘘と欺瞞で社会の平和が維持されてるってどうなのよ?という真島の問いかけに対する回答が、最終的には「ミカは嘘つき」というところに落とし込まれるのは本当に上手いな、と思った。ヨシさんのことでミカはずっと嘘を吐き続け、今後も嘘を吐き続けることにより、千束の平和と人生は維持されるのだ。でもそれがなんだと言うのか。最終章の事件の展開はとんでもなく粗かったけど、アレですべてチャラになったかもしれない。嘘と欺瞞を不快感なく肯定する物語として筋が通っていたと思う。