滝口悠生『水平線』

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滝口悠生を読み始めたのは昨年からで、初めて手に取ったのは『高架線』だった。

きっかけとしてはfuzkue 初台に『高架線』の単行本が置かれていたからで、とはいえ内容はまったく知らず、表紙をただ見かけたというだけだったと思うのだが、なぜそれで惹かれたのかはよく覚えていない。fuzkue店主である阿久津隆の「読書日記」でたびたび言及されていたから、というのもあるとは思うものの、不思議と脳の片隅にずっと引っかかっていた。それから優に数年が過ぎ、気付けば『高架線』は文庫版が出ていた。

それで読み始めてみるとクリティカルヒットだったから面白いものだと思う。1つのアパートのある1室を借りていた歴代の住人たちを巡る、16年間の物語。物語と言っていいのかも悩む節はあり、同じ部屋を借りていた、という共通項で括られる人々がすべて面識を持っていたり、1つのストーリーを紡いでいたわけでもないのだが、そういう断片としての人生が、然して住居という点を通して折り重なり合い、不思議と物語の体を成していく構成が面白く、なんと言うか、たわいのない複数の個人の生が、演繹的に一冊の本へまとまるところに、温かみを感じていた。

そういう本を書いていた方が、第二次世界大戦で戦場となった硫黄島を舞台として、戦前、戦中の様子と現代とを行ったり来たりする小説を書いたと聞けば、それはきっと面白いのだろう、とやはり思う。そしてそれは期待通りだった。

『高架線』に比べればいささか不思議な物語ではある。硫黄島で生まれた祖父母を持つ、2020年を生きる38歳の横多平は、祖母の妹の名を名乗る人物からのメールを不意に受け取り、彼女が住んでいるであろう、かつて硫黄島からの疎開先でもあった父島へと向かう。彼女は生きていればかなりの歳だし、聞けば数十年前に蒸発したっきりだという。一方、以前硫黄島へ墓参りに訪れたことがある、横多の妹もまた、かつて硫黄島に住んでいたという見知らぬ男からの電話を不意に受ける。彼が名乗る名もまた、硫黄島ですでに戦死したはずの親族の名だ。現代において、兄妹それぞれが、死んだはずの、あるいは生きているかもわからない親族とやり取りをしながら、兄は父島を巡り、妹はコロナ禍の東京を生きていく。その合間合間では視点を移し、70年以上前、彼らの祖父母やその周囲の人々の物語もまた展開されていくという構成になっている。

現代と過去については、70年以上を隔たっていることもあり、『高架線』同様に、そこに一直線の筋があるわけではもちろんない。しかし現代と過去とを交互に行ったり来たりするうちに、ここでもまた時間的な多層性が生まれてくる。本来繋がるはずのない、2020年と戦時中。現代から戦争へと思いを馳せることはもちろんできるが、戦時中の彼らもまた、知るはずのない未来を知っていたのかもしれない。そしてその当事者たちは、この物語においては、メールや電話を通じて現代へ直接語りかけてくる。飛び越えるはずのない時間を飛び越えて、あの日の島々を生きる人々と、今の島々を生きる人々が同じ目線で語っていく。

私はあなたがここでなにを考えていたのか、このくずれたかまどや錆びた鍋を見て想像しようとするけれども、全然想像がつかないよ。あなたは私のことを、もしかして知っているのですか。いずれにせよ、私はあなたのことを知らなかったし、いまもまだ知らないよ。 (p.72)

劇的であっても劇的でなくとも、人の生と真摯に向かい合い、それを丁寧に折り重ねていけば、それは物語となっていく。ややもすれば取るに足らないような一瞬一瞬ですらもきちんと拾い上げて織り上げるような本であり、僕が滝口の作品を好むのはそういった点にある。小説としては分量のある類ではあると思うが、それもまったく苦ではない読書体験だった。

僕は硫黄島も父島も訪れたことはないが、現代についても戦時中においても、作中の描写はかなりディティールに凝っており、島の様子は在り在りと感じられる。島の自然、海、相撲などの風習、食、現代においてそここに遺されている戦争の遺構、本州から訪れる船を歓迎したり、釣りをしたり、観光に訪れたりする人々、徐々に島中で数を増やしていく軍人、軍事拠点としての工事、戦火、空襲。過剰に反戦厭戦の機運を掻き立てるような作品ではないが、今と昔と、人々の生きる姿が克明に描写され、数多の死もまた同じく描写される。終盤、「死は絶対に簡単だ。人間は複雑に死ぬことなんかできない」という台詞が心に刺さる。

ところでアイキャッチに使った画像には最新作『ラーメンカレー』も映っているが、これはfuzkue 西荻窪で『水平線』を読み終わったその日、同店の店員に「最新作も面白かったですよ」と聞いてその足で買って帰って撮ったもの。まだ読みきっていないが、fuzkueには感謝しかない。