文学フリマ東京37と、本を出すということと、本を出してはいないこと。

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文学フリマ東京37に行ってきた。ありがたいことに、当日頒布された「はてなブログ文学フリマ本」に DM250と、書き留めるということと、わかりあえなさと。 を収録いただいており、無事に受け取ることもできた。文フリには2014年からたびたび足を運んでいるけれど、自分の文章が会場で頒布されているというのは初めての経験でとても新鮮だったし、会場で自分の文章が書かれた本を受け取るのはくすぐったい感じもした。

はてなブログが日記祭や文フリに出展する動きはすごくいいな、と感じている。本を出す、そのために1冊分の文章を書く、となるとなかなかハードルが高くも思えるけれど、今書いてもらっているそのブログを印刷すれば本になるんですよ、と言われると、自分も本を出せそうだ、と確かに思える。ブログはウェブ上で書かれて読まれるもので、基本的にはリアル、オフラインとは断絶している。それを印刷、製本するという手段を通じ、即売会などで飛び交う書籍の1冊として並べることができる。

ひょっとしたら、というかほぼ確実に、オンラインのほうがより多くの人には読んでもらいやすいとは思うのだが、紙の本にする、あるいは紙の本で読むということには不思議と抗いがたい魅力がある。Kindleも使っているし、電子書籍はよく買うけれど、自分について言えば小説を買うときは基本的に紙にしている。なぜ?と言われてもよくわからないと言えばわからない。なんというか、テキストという情報を読みたいわけではなくて、印字、広義の活字を読みたい気分、というのが自分には存在する。ブログも読むし、Twitterなどをだらだら読んで満足するときもあるけれど、ページをめくりながらパラパラと本を読みたい、という欲求は、喉が渇くように定期的に現れる。

そんなことを書きながらも、自分のこのブログを印刷して本にしよう、という気分になったことは、実はない。このブログはテーマのまとまりがまったくなくて好き放題に書いているので、本という1冊にくくった状態をなかなか想像しがたいというのが理由にはある。やるとしたら例えば毎週1回書いて「週記」のような形にするとか、ついつい体裁を整えたくなってしまう。でもそんなの気にせずに、2023年に書いた文章をまとめておく、とかでも全然いいんだろうな、とも、頭の片隅では理解している。まぁ、そんな状態ではあるので、このブログの文章が紙に印刷されたことはこれまでになく、今回がおそらく初めての機会になった。こういった企画がなければ一度も印刷されることはなかっただろうし、株式会社はてなにはとても感謝している、ということを当日もブースで伝えられてよかった。10年以上はてなでブログを書いてきているが、こういう形で「中の人」とお話しすることがあるとは思っていなかった。当日は真っ先にこの本をもらいに行き、その後見本誌ブースへ物色に行ったのだけど、しばらくはなんだか気分がふわふわしてしまって、手に取る本の中身が頭に入ってこなかった。

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最近積み本が多すぎるので、今回は控えめにしよう、と思い、あまり買うことはしなかったのだが、相変わらず歩いているだけで元気になれるイベント。コミケの評論エリアとかでもそうなんだけど、世の中にはこんなことを考えている人もいるんだ! それを1冊の本にしちゃうまで愛しているんだ!っていうことを目の当たりにすると本当に元気になる。自由で良いんだ!っていうのもそうだし、世界には自分が知らないことがまだまだこんなにあるんだ!っていうのもそう。自分はたぶん読まないので申し訳ないから買わない、という判断になることもあるが、それでも面白そうだな、と思う本が山のようにある。帰りがけに、V系バンドの楽曲をテーマに書いたSFアンソロジーです、という売り文句が遠くから聞こえてきて、なにそれ面白そう、と思ったのだが残念ながら時間もあって探しきれなかった。

最近は日記をよく買う。今回はひととなり書店の『しばり日記』を購入させていただいた。他人の生、生活を覗く。作られた物語も良いのだけれど、ただそこにあった生も、それだけで物語たり得るし、その1日1日を言祝いでいたいのだという思い。ブログの書籍化、というのは、確かにその延長にあるものだと思う。個人がこれだけ自分の生を簡単に記録できるようになった時代、それを印刷して、物質化して残そう、読もう、という動きは、はてなだけではなく、もっと広がっていい気がしている。