赤の他人に興味を持つような変人、そうそういないんだよ

Twitterを始めてみたけど、結局面白さがわからないのでやめてしまったという友人が何人かいます。彼ら曰く、「赤の他人の発言の何が面白いのかわかない」、あるいは「興味がわかない」らしいのです。結果的にTLを見る動機も湧いてこないと。

一方、mixiをやっている友人はわりと多いです。私の大学(というか私の交友関係周囲)の場合、どうも大学入学直後ぐらいにわーっと新歓の流れでmixi会員が増え、書く人はそこから継続して3年、4年になっても書いているという感じ。人によっては大学を卒業した後も、大学時代のマイミク相手に日記を書き続けてたりします。毎日毎週と書くわけでなくとも、ちょっと気になったときに覗いて、数カ月に一度ぐらい、気が向いたときに日記をちょこっと書いてみる、みたいなライトなユーザーも多いです。こちらはやはり、「身近な人」だったり、「上京したので会えなくなった地元の友だち」「卒業してしまった先輩」など、気になるけど簡単には会えない人の近況を知る目的で使っている人が多い印象。

彼らにとって、おそらく「他人」は「身近な他人」と「赤の他人」の二種類がいるんだと思います。そして前者に興味はあるけど、後者に興味はない。主に「赤の他人」と交流するツールである、Twitterにも当然ながら興味がない。例えば見知らぬ人から突然リプライが来るようなのは、結構対応しづらいんだそうな。彼らには「赤の他人」ってのはどこまでいっても赤の他人であって、ネットで気軽に赤の他人と触れ合えるようになりました!と言われても「?」な感じなようです。


ネットユーザー、特にTwitterを頻繁に使っているようなディープなネットユーザーは、この辺りどうなんですかねぇ? 思うに、私の周囲の人物のように、「赤の他人」にアレルギー反応を示しちゃうような人はかなり少ないですよね。むしろ赤の他人が否かなどあまり気にしていない。はてブ人気エントリーに目を引くブログがあれば、それが誰の書いたものかなんて考えずにホイホイ見に行って、場合によってはコメントまで残しちゃうわけですよ。

でも、そういう「浅く広く他人に興味がある」人種は、実は極一部なのかもしれない。いやきっと極一部なんだと思います。カイシャだとかクラスだとか身近な狭い集団への帰属意識が強いと日本人は言われますが、その分遠くのよくわからん誰かへの興味は薄いのではないかと。「人が一番面白いコンテンツ」ということをTwitterが明らかにしたと誰かが言ってましたが、赤の他人を面白いと思う人なんて、そうはいないのかもしれません。

現に、Twitterはこれだけ各所で持ち上げられてるけど、そこまでアクティブユーザーが増えた感はない。この「他人への意識」の大きな断絶をどうにかしなくては、Twitterが日本で爆発的に流行ることはほぼありえないんじゃないかと思ってます。