四月の永い夢
各国の映画は、その国独特の色を帯びることがあって、邦画にもまた日本独自の色というのが出ていることがある。うまく表現できないけど、まぁこの国の四季にフォーカスした、例えば夏の喧騒や日光の強さを表現するというのもあるし、あるいは人間関係における妙な生臭さというか、じとりと湿っぽく纏わりつくようなコミュニケーションが表現されてると、ああ日本だなという感じがしたりする。今まで見た中で、その最たるものは西川美和監督の『ゆれる』かなと思うんだけど。
『四月の永い夢』にも、そういう空気が底に流れている。ただ、それは嫌なものではない。主人公は恋人を喪ってから、仕事も辞めて、ぽっかりと宙に浮いたような人生の一時期を過ごしているのだが、その地に足の着かないような、それでいてどこかへもう一度着地しなくてはならない、というような、悲劇を背景としているにも関わらず、なんだか軽やかな雰囲気が映像全体に溢れている。そして誰かの喪失という大きな出来事を経ておらずとも、20代半ばぐらいにモラトリアムの最後の残り火のような、どこかフワフワと浮ついた寄る辺のなさを感じることは誰にでもあるわけで、少なくとも自分はそういう数年を過ごしたりしたので、この映画の空気はどこか懐かしいようなくすぐったいような、心地よいぬるま湯のようにも感じられた。夏の空の下でBBQをした帰り、なんとなく男女2人になってしまって、寄り道をしつつ帰っていくシーンとか、とてもよい。
個人的な体験として、自分は大学生から卒業後1年ぐらいのあいだまで、つまりはモラトリアム真っ最中を作中と同じ国立市で過ごしていたので、特に惹かれるものがある映画だった。隣の立川市にあるシネマシティで映画を見て、その後喫茶ルーブルに立ち寄る感覚とか、すごくよくわかる。
セッション
Primeビデオで見た。公開当時も見たいとは思っていたものの、あの頃は『バードマン』を優先してしまって見る時間を取れなかったと記憶している。ちなみに『バードマン』めっちゃ好き。
俺はデイミアン・チャゼルと合わないのかもしれないし、とても気が合うのかもしれないし、よくわからなくなった。彼の映画は『LA LA LAND』も見ているけど、その時と同じで「人間は結局のところ交わらない」というメッセージを自分は得てしまった。どうもセッションは「圧巻のラスト9分19秒!」みたいな売り文句だったようで、確かにあのラストは凄まじいものもあるが、冷静に見ると2人のバカが最後までわかりあえずに、しかし音楽という共通項によって奇跡のようにマッチした、それだけのものだ。それをセッションと呼ぶのは確かに相応しいかもしれないが、この絶望的な断絶の果てにしかセッションは起き得ないというのは、ちょっと描写として自分は受け入れ難かった。
ニーマンとフレッチャーは音で結びついただけの話で、彼らの間に信頼はない。『LA LA LAND』の2人については愛し合ってはいたが、その結末は別離だった。いわゆる恋人や師弟といった、出来合いの素晴らしい人間関係に陥ることはなくとも、互いの人生に深く影響し、刻まれる間柄というのは存在すると、チャゼルの映画からはそういうメッセージが読み取れる。それは人間のコミュニケーションに対するドライな見方だとは思うが、一方でそういう関係性が成り立つこともまた、真実ではあると思うのだ。そんなチャゼルの描く物語に、自分は絶望しながらも肯定したいような、どっちつかずの気分でいる。
堀江敏幸『いつか王子駅で』
- 作者: 堀江敏幸
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堀江敏幸という作家が好きで、短編『スタンス・ドット』が特に大好きなのだけど、そんなことを急に思い出し手にとった1冊。Twitterで薦めていただいた。
文学とはなにか?と問われて正答を述べる自信も知識もないが、自分としての答えを出すのであれば、堀江敏幸の本を1冊手渡すことになる。もう少し厳密に言えば純文学と言うべきなのか、わからんそういうの。私が美しいと思える文学というものは、それは誠実で細かな人生の描写だ。普通の人なら見落として生きているような、ミクロな出来事や些細な感情のぶれを、余すことなく言葉として書きつける、それはとても美しい行為だと感じている。ブロガーである自分もまた、そうであれたらいいなとは思うのだが。
そして普通の人の、尊ぶべき普通の人生というものは、得てしてドラマチックではない。淡々と、ただここに書かれた言葉をなぞる、そのこと自体が楽しいと思える、そういう1冊だった。
fhána『World Atlas Tour 2018』Final
fhána / World Atlas -MUSIC VIDEO- (3rd ALBUM「World Atlas」表題曲)
昨年のツアー が『Looking for the world atlas』で、今年のアルバムとツアータイトルが『World Atlas』というのはちょっとエモすぎませんかね。探し当てたのか、世界地図を。
fhánaはハイテンションに盛り上がる曲の印象が強かったが、しっとりと、じっくりと聴かせる音や、バラエティ豊かな楽器や表現も聴きどころなのだということを、再認識させられるライブだった。昨年はとにかくブチ上がって終わったように記憶しているが、今回は聴き入るライブに仕上がっていて、そういうバンドとしての振れ幅を示せるのは強いなと思う。yuxukiが「エモちらかす」という表現を遣っていたが、今回はまさにそれ。
ところでエモに傾けると、MCがtowanaと佐藤さんに偏りまくるというのは面白い発見だった。もちろんyuxukiのプレイにフォーカスした時間もあって、とてもカッコよかったし、kevinの煽り方は楽しくて好きで、個々の色というのがいい具合に混ざり合っているバンドなのだと思う。
大童澄瞳『映像研には手を出すな! (3)』
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なんか別のところで話題になっててびっくりした。
映像研、安定して面白い。メイン3人の関係や、映像研という組織の学校内での立場といった、物語の土台になるものが2巻までで整備されたので、今巻からいろいろと「転がる」ようになってワクワク度が増したというか。あまり自分語りをしない、金森の過去に踏み込んでみたり、アニメーションと聞いて真っ先に浮かぶ絵、動きから、音という分野へも発展してきたり。
そして今巻、やたらと名言も多い。原作者は学校をだいぶ恨んでいるのだろうか。気持ちはよくわかるが。