デイミアン・チャゼルの映画をこれで3作品見てきたが、これが一番好き。『LA LA LAND』の音楽もサントラ買うほどには好きだったし、三者三様の良さがもちろんあったんだけど、チャゼルが何を伝えたいのか、どんな人間を描きたいのかというのが、『ファースト・マン』によってストンと腑に落ちた感覚があった。結局彼が描くのは音楽ではなくて人間だったし、宇宙開拓史やアメリカの威信や人類の偉業ではなく、人間だったという話なんだと思う。
最初に『ファースト・マン』制作開始の話を聞いたときは、「へえ」と少し首をひねったことを覚えている。チャゼルはこれまで等身大かつフィクションの人間ドラマを描いてきた。なので実在した人物の伝記を、それもおそらくはこれまでになく大掛かりな撮影が必要となる、宇宙ものの話をやるというのは、どうもピンとこなかった。でも実際に見てみると、チャゼルの映画の主人公として、ニール・アームストロングという人物はこの上なくマッチしていた。
率直な感想を、誤解を招きそうな言葉で言えば「狂ってんな」と思った。アポロ計画は人類を初めて月へと導いた偉大なプロジェクトだが、順風満帆だったわけでもない。作中でもポロポロと人命が失われていく様がきちんと描かれる。前の晩、ビールを飲み交わしていた友が次の日に墜落死する。アポロ1号の船長に内定した友人が、最近息子が宇宙に興味を示している、視野が広がっていくようで嬉しいよ、と語った直後に事故で焼け死ぬ。ニール自身も訓練中の事故で大怪我を負う。多額の資金と人命をはたいて月を目指すことにアメリカ世論は疑問を懐き、黒人は「俺たちは家賃も払えない生活だが、白人は大金を使って月へ行く」と抗議集会で歌い上げる。心躍るはずの宇宙船内の描写は振動と密閉感が強くて、鳴り響く正体不明のアラート音は見ているだけでこちらが緊張してくるし、映像的にもちっとも楽しいものとは思えない*1。
それでもニールは一切止まらない。苛立ちこそ募らせるが、主人公が負いがちな迷いや葛藤をほとんど見せず、その動機すらも語らず寡黙に月を目指す。彼が何に喜びを感じ、何を楽しんでいるのかも語られることはない。月面でのある場面で彼が見せる涙がその答えなのだろうとは思う。ただどちらかと言えば、アポロ11号打ち上げ前の記者会見で「船長に選ばれて嬉しかったか、驚いたか」と2回に渡り聞かれた彼が、いずれも感情を見せずに「満足でした」としか応えなかったことのほうが、彼の人柄を如実に表しているように見えた。
何がそこまで彼を駆り立てるのかがわからない。あるいは、人類を月へと導いているのかがわからない。マイナスの要素が数多積み重なっても止まることのないミッションと船長を見ていると、「狂ってんな」という感情を抱くに至る。英語で「crazy」と言ったほうがニュアンスとしては近いようにも思う。それは必ずしも悪い意味ではなくて、それほどの執念の下で遂行されたミッションでなければ、決して成し遂げられることがなかった成果というものがあるんじゃないだろうか。人類史に残る仕事を成功させたのは、ドラマティックな物語なんかではなくて、執拗に成功を追い求めるストイックな仕事人という、極めてシンプルなものだったんじゃなかろうか。『セッション』のラストシーンでたどり着く数分の「セッション」も、『LA LA LAND』で2人が別離に至った経緯も、自分には同種のものだったように思える。人間には成すべき仕事がある。時に、それを遂行するには犠牲や代償を払うべきときがある。犠牲を厭わず、愚直にやるべきことをやり続けた結果として、時として奇跡のような瞬間に出逢える。チャゼルの映画から共通して読み取れるのはそういう人生観だ。そしてニール・アームストロングという真面目過ぎる技術者、あるいは冒険者は、そんな彼の作品の主人公としてピタリとハマりこむ。
アポロ11号の打ち上げシーン。数多の犠牲の帰結、そして自身もまたその犠牲の1人になるかもしれない緊張感が画面には漂い、ニールにもバズ・オルドリンにも笑顔はない。しかし、彼らが準備を整えて一歩外に出ると空気は打って変わり、出迎えるのは、満面の笑みで星条旗を振る大衆である。これまでの経緯を見てきた側からすると、月への旅立ちは華々しいものではないことがわかっているので、このシーンは胃が痛いものでしかない。そこで初めて思い至ってしまう。「狂っているのは、むしろ呑気な大衆の側ではないか?」。この疑問が頭をよぎることで、自分がいつの間にかニールに共感していたことを知ることになる。愚直な仕事が、ただ静かに実るよう願っていることを知ることになる。
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偶然のタイミングではあるが、先日イチローが引退を表明し、1時間以上に渡る会見内での様々な言葉が話題になっている。野球は詳しくないが、彼もまた「愚直な仕事人」にあたる人物だと僕は認識していて、会見の動画は見ておきたいと思っている。また別のエントリーで今度書くつもりだが、最近読んでいる『機動警察パトレイバー』も「地味な公務員」という仕事人の話ではあって、それがたまらなく面白く感じたりしている。こういう筋書きに惹かれるようになったのは、歳をとった故なのかもな、とも思う。
気が滅入る。ひたすらに気が滅入る映画だ。しかしだからこそ、その最後の一歩の価値が大きい。
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*1:容赦なく不快な機械振動を鳴らしてくれる音響は体験としては素晴らしい臨場感で、ある意味楽しくはあるのだが。